子供と過ごす時間

息子Eが3歳になり、日々意思疎通できる文脈が増えてきた。3年間はあっという間で、自分は絶対に子供の写真をばしゃばしゃ撮りすぎる父親にはならないと思っていたのに、カメラロールはEの日常で埋め尽くされている。でも、写真や動画もいいけど、家族としての気持ちを文章に残しておくべきだろうなと思ってきたので、ときどき書けたらいいなと思っている。
自分と妻Yの子育ての方法が正しいのか、疑問に思うことはたくさんあり、いつも頭を悩ませる。子供の健康や安全を脅かすことなら、調べればロジカルに解決ができるが、子育てで直面する問題のほとんどは、個別性が強く、自分の頭で考えるしかないことだ。
幸い、自分は子供を家族に迎える年齢が友人に比べて遅かったので、子育てを終えつつある友人からいろいろなストーリーを聞くチャンスに恵まれた。それらを総合して自分なりに咀嚼すると、恐らく真実はふたつで、「子供と充分に一緒に過ごせる時間は想像より短い」と「子育てはなるようにしかならない」。どちらも当たり前なのだけど、だいたいこの結論に帰結できるように思えたので、それを前提に日々行動しようとしている。
まず、子供と充分に一緒に過ごせる時間は想像より短い。
自分が子育てで大事にしていることはたくさんあるが、ひとつ大事なことをあげるとしたら、できるだけ多くの時間を一緒に過ごせるように、Yと工夫していることである。人が前向きに生きていくうえで欠かせないのは自己肯定感で、その感覚は、多くの場合、身近な誰かから大切に扱われているという体験から芽生える。自分が守られ、認められていると感じられれば、社会の中で自分の居場所や役割を見出しやすくなるし、その実感があるからこそ努力を継続する力も湧いてくる。人との関係も、無理せず長く健やかに続けられるようになる。
そして、この自己肯定の土台は、親から尊重されていると感じられたかどうかが決定的に影響する。時短・タイパ的な技はいくらでも見つかる現代だが、子供と2時間過ごさないと伝えられないことを、30分だけで伝えようとしても、それはどうしても25%しか伝わらない。子供と過ごせる時間はとにかく短いのだと理解した上で、できるだけ多くの時間を過ごせるように工夫している。
もうひとつ、子育てはなるようにしかならない。
親ならば誰しも自分の子供にこうなって欲しい、備わって欲しいと思うパーソナリティや形質はたくさんあるが、だいたいは、エゴで、勘違いで、お節介なのだと思う。だから、もしどうしても子供に何かを願うのであればできることはただ一つで、自分たち自身が日々そのように行動すること、その背中を少しでも長く見せ続けることだけが最良の策だと思う。願うならば、まずは自ら差し出す。
自分は子育てを通じて、Eの成長を見る楽しさだけではなく、世の中の子育てに従事する人々の痛みや喜びや、世の中を見る視点が日々ありありと変わっていて、良き市民であろうと努力する活力が湧いている。